日本の起業家:三木谷浩史

三木谷浩史

三木谷浩史は、楽天株式会社の創業者で代表取締役会長兼社長です。コボ社取締役・楽天ブックス会長でもあります。その他にも新経済連盟代表理事、東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナー、Jリーグヴィッセル神戸オーナー、東京フィルハーモニー交響楽団理事長、楽天証券ホールディングス会長、フュージョン・コミュニケーションズ会長、ビットワレット会長等も務めています。

プロフィール

1965年3月11日生まれ。兵庫県神戸市出身。6歳まで神戸市垂水区にあった神戸商科大学職員住宅に居住していました。1973年、三木谷が小学校2年生の時に父親がイェール大学の研究員に就任したため家族で渡米し、アメリカで2年間過ごしたのち帰国します。帰国後は明石市立松が丘小学校に入学しました。1977年に岡山県の岡山白陵中学校に入学し、実家から離れて寮生活を送りました。しかし、スパルタ教育のためにノイローゼに掛かり、2年生の6月に退学、実家に戻って近所のアサギリ中学校へ転向します。後にこの時の経験をバネにして奮起したと述懐しています。1980年に兵庫県立明石高等学校に入学。高校時代はテニスのジュニア関西ベスト16に入る腕前を持っていました。また、学校法人予備校神戸セミナーの経営者であった村上雄藏の英語塾に在籍していました。1983年に高校を卒業し、1年間浪人生活を送ったのち、一橋大学商学部に入学します。大学時代には花輪俊哉ゼミに所属。また、体育会テニス部主将を務めました。テニス部の1年先輩には漫画家の吉住渉、1年後輩には現在のインデックス・ホールディングス社長の小川善美がいました。1988年に一橋大学を卒業し、日本興業銀行(現在のみずほ銀行)に入行します。名古屋支店を経て、本店外国為替部に所属しました。1991年に結婚。また、同年には同期で初めてハーバード大学に留学しました。滞米生活で企業家への夢が芽生え始めます。1993年にはMBAを所得して帰国。帰国後は企業金融開発部で国際的なM&Aの斡旋を担当し、ソフトバンクの孫正義やTSUTAYAの増田宗昭などを顧客としていました。1995年1月17日、阪神・淡路大震災で故郷が瓦礫の山と化し、敬愛していた叔父叔母を失ったことが人生観に大きな影響を与えました。これをきっかけに間もなく起業を決意し、同年11月に日本興業銀行を退職。コンサルティング会社のクリムゾングループを設立します。当時は慶大院卒の新卒者と、たった2人だけの起業でした。1997年2月7日、クリムゾングループで稼いだ6000万円を元手に、株式会社エム・ディー・エム(現在の楽天)を設立し、会長に就任しました。2008年にはフォーブス誌の日本人富豪ランキングで8位にランクインし、38億ドル保有していると報じられました。翌年には36億ドルで7位にランクイン、2010年には47億ドルで6位と着実に順位を上げています。

家族

父親は経済学者で神戸大学名誉教授の三木谷良一で、母・節子は戦前に小学校時代をニューヨークで過ごした帰国子女であり、神戸大学卒業後兼松江商に入社したキャリアウーマンの走りでした。3人兄弟で、姉・育子は医師、阿仁・研一はバイオ研究者という家庭に育ちました。また、祖父は一橋大学を卒業して三菱商事に入社した商社マンでした。妻・晴子は、元林野庁青森営林局庁の下山裕司の子です、東京都立小石川高等学校を経て、1986年上智大学文学部英文学科を卒業し日本興業銀行に入行しました。三木谷とは興銀のテニス部で知り合い結婚。ハーバード大学に留学した三木谷に同行して渡米し、1993年ボストン大学大学院修士課程を修了しました。楽天創業以来経理や広報を担当し、2001年まで楽天の副社長を務めました。2人の間には息子もおり、2011年より東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した星野仙一とも対面しています。上智大学を卒業後に電通勤務を経て、外食業の株式会社グラナダを創業した下山雄司は妻の実弟です。なお、父方の祖母・本多昌子の先祖は、播磨国山崎藩を治めていた政信系本多家の流れを組む本多家であり、第9代藩主で子爵の本多忠明は高祖父にあたります。


詳しい経歴

1965年
・・・兵庫県神戸市に生まれる。
1973年
・・・父のイェール大学研究員就任に伴い渡米。2年間をアメリカで過ごす。
1977年
・・・岡山白陵中学校入学。寮生活を始める。
1978年
・・・スパルタ教育のためにノイローゼになり、中学校を退学。実家に戻って近所の朝霧中学校へ転校。
1983年
・・・兵庫県立明石高等学校卒業。
1984年
・・・1年間の浪人生活を経て一橋大学商学部に入学。
1988年
・・・一橋大学を卒業し、日本興業銀行に入行。
1991年
・・・結婚。ハーバード大学へ留学。
1993年
・・・MBA取得。
1995年
・・・日本興業銀行を退職し、コンサルティング会社のクリムゾングループを設立。
1997年
・・・株式会社クリムゾングループ代表取締役社長に就任。
2002年
・・・アメリカの経済誌「フォーチュン」の若手富豪ランキング6位に選ばれる。株式会社ネクストの取締役、カルチュア・コンビニエンス・クラブの取締役、楽天トラベル株式会社の代表取締役に就任する。
2003年
・・・「神戸に社会貢献したい」と、発足当時から赤字が続くJリーグ・ヴィッセル神戸を買収。ディーエルジェイディレクト・エスエフジー証券の会長、マイトリップ・ネット株式会社の会長に就任。
2004年
・・・株式会社クリムゾンフットボールクラブ代表取締役、株式会社あおぞらカード代表取締役会長に就任。ライブドアに続き、プロ野球への新規参入を意思表明する。株式会社楽天野球団を設立し、本拠地を仙台市に置く。
2005年
・・・国内信販株式会社会長に就任。
2006年
・・・楽天ブックス会長、株式会社クリムゾンフットボールクラブ代表取締役会長、楽天証券ホールディングス株式会社会長に就任。
2007年
・・・楽天が傘下に収めることとなったフュージョン・コミュニケーションズ代表取締役社長兼執行責任者、後に代表取締役会長に就任。
2008年
・・・球団オーナー職を退き、株式会社楽天野球団取締役会長に就任。楽天KC取締役、イーバンク銀行株式会社取締役会長に就任。フォーブス誌の日本人富豪ランキングで8位にランクインする。
2009年
・・・財団法人東京フィルハーモニー交響楽団の理事に就任。
2010年
・・・ビットワレット株式会社代表取締役社長、一般社団法人eビジネス推進連合会会長に就任。
2011年
・・・3月に発生した東日本大震災に際し、推定10億円もの義援金を寄付したと報じられる。財団法人東京フィルハーモニー交響楽団の理事長に就任。日本経団連を脱退。
2012年
・・・コボ社取締役就任。一般社団法人経済連盟代表理事となる。東北楽天ゴールデンイーグルス球団会長から、会長兼オーナーへ再就任した。
2013年
・・・内閣日本経済再生本部産業競争力会議メンバーとなる。
2014年
・・・フランス共和国外務省でレジオンドヌール勲章シュバリエを受ける。